【織田信長の合戦】桶狭間の戦いの実態【道と地形図で合戦解説】

2023-01-20に共有
織田信長と今川義元が1560年に戦った
「桶狭間の戦い」についてその実態を解明するため
道と地形図を使って分かりやすく解説した動画です

この動画を見て動画の舞台となった地に旅行に行ってみたいと
思ってくれたら幸いです。そうだ名古屋へ行こう!

【おすすめの参考文献】
かぎや散人、太田牛一「現代語訳 信長公記天理本首巻」(デイズ)
amzn.to/3PIIuAQ
「信長公記」は実は2種類あります、貴重な天理本が読めるのはこの本だけ
初期の信長について調べるならこれを読まないと話になりません
絶対にオススメ、信長ファンなら買って損はありません

中川太古、太田牛一「現代語訳 信長公記」(2013、KADOKAWA)
amzn.to/3NE6t1l
「信長公記」の基本的な本、現代語訳を読むならこれがおすすめ
信長ファンなら持ってないとやはりお話にならないかも

梅垣牧「「桶狭間の戦い」の真実ー今川義元・氏真の終焉の地/その後の今川宗家ー」(2021、文芸社)
amzn.to/3JGFSji
サブタイの通り今川家が詳しい、今川が好きなら買ってもよいかも

<よしふじ歴史ちゃんねるの動画>
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地図引用元:Google社「Google マップ、Google Earth」等を加工して作成

#桶狭間の戦い
#織田信長
#よしふじ

コメント (21)
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  • 私はこの地域の生まれ育ちですが、とても納得のいく腹に落ちる見解です。私の実家のお墓は長福寺にあります。また、伝説地のほうには小学校の遠足で行きました。Cルートが最も自然なルートだと思います。また、あのあたりの地形をみても伝説地を核とした合戦説には無理があると思います。価値のある動画だと思います。
  • あの辺りは隘路になっていて横に20人も並べばふさがってしまうほど狭い。 国道1号が片道1車線しかないような所。 そんな場所で自城の救援の為とは言え本陣を手薄にして部下を向かわせた事、それを織田に察知されたのが運の尽き あそこでは兵力の差が10倍あったとしても先制攻撃側が有利すぎる地形。 現地を見ればわかるので是非歩いてみてください。
  • 生涯、豪雨、豪雪の中の奇襲戦を3度仕掛けて全て成功している信長公が凄すぎる。
  • 今川軍にとっては大高・鳴海城の後詰戦にすぎないのだから、信長以外の武将であれば、各砦を放棄して撤退していたことだろう。 しかし信長は敵兵力を前線に引き付け義元の首を狙ったところが凄い。 地図での説明わかりやすかったです。
  • @anakin001
    勝った側も不確かな伝承しか残してないとこからして、相当無茶な作戦だったのは間違いないんでしょうね
  • @ysmiura
    今まで見た諸説の中で一番リアリティあるわ。
  • 私の先祖は信長の側近で、桶狭間の戦いでは本隊にはいませんでしたが砦(丹下か中嶋か善照寺だと思われる)を守っていたと伝わっています。今もその戦功で信長公からいただいた土地(父がアパートを立てて管理しています)を所持しており、信長公と桶狭間の戦いには特別な思い入れがあります。 詳しく解説してくれてありがとう。
  • 信長はかなりの策士だったんですね。 軍議で雑談をして戦略を隠す。素晴らしい。
  • @hatlabo
    桶狭間のあたりは仕事で出向いている機械装置の工場があるので地形や道筋なども理解している、それとクリップの解説を照らし合わせてなるほどなぁと納得しながら見ていました。現地の地形などと合わせて考えると他説よりも説得力があると思いますね。
  • 沓掛城から南1.6kmの所に実家がある豊明市民です。なので桶狭間の合戦は今川軍目線でいつも見てます。沓掛城をスタートして、戦人塚、豊明市側の伝説地、緑区側の古戦場公園、丸根・鷲津砦、大高城、先日の大河2回目の翌日に久々回ってきました。石碑等の古さでいえば何といっても伝説地の方。昭和50年代まではこちら側が定説だったと思われ。で古戦場公園は銅像とか設置されて視覚的に訴えかけてるけど、昭和60年代あたりから整備されていて全てにおいてピカピカなんだよね。ただ伝説地にある最古の碑も合戦後250年も経ってから立てられた物。東海道からわずか100m、江戸時代は古戦場テーマパークだったかもしれないし?今川軍進軍ルートは、豊明ボランティアは郷土史家太田先生の鎌倉街道&間米ルートを、緑区は東浦街道&大高道ルートを主張。太田先生説は豊明非公認なんで、もしかすると豊明市教育委員会公式説もある?で太田先生説では、佐々軍の決死の先陣が古戦場公園辺りで今川軍の軍列の先頭と戦い、今川軍は数珠繋ぎの渋滞、進軍できない今川軍は仕方なく進軍停止(休憩)。で伝説地で休息してた義元を信長が襲って討ち取った。とのことです。また緑区説では、大高道から義元本隊のみ外れて古戦場公園で休息してたら信長に襲われて討ち取られた、となっています。どちらもあり得そうなんですよねー。またどんどん研究も進んでいくんでしょうね。ちな以前、伝説地の行った時に豊明ボランティアにいろいろ専門用語含めて質問してたら「ボランティアに入らない?」て逆スカウトされたこと、あります(笑)。
  • こないだ大河ドラマでサルがものすごくザックリと説明していた戦術・戦局がこんなにも濃いのだったとは。 次の動画も期待してます。
  • この有松ルートなら松井宗信の陣地からは織田信長の軍は見えない可能性が高い。鳴海城側を見下ろせる様に高台に陣地を張った場合に織田信長の進軍ルートが近いけどちょっとした丘を挟んでいて隠れてしまっている気がする。もちろん豪雨で見えないのも込みで。 でもサラッと描かれてる今川義元の自領での進軍スピードが結構エグくて浜松城→岡崎城とか多分日の出出発で深夜到着になりそう。 復活おめでとうございます。チャンネル登録してあるのにおすすめに上がらなかったのはブランクが長かったからかなあ。
  • @HK-io9on
    こんなにも血が熱くなる合戦は他にない
  • @wtgajdmgt
    小牧長久手の羽柴秀次のようなもので休憩中に奇襲されると簡単に崩壊する。
  • めっちゃたまたま見つけました!動画再開してくれるとは思ってなくて嬉しい限りです。 ゆっくりじゃないバージョンも良いですね〜。次作も楽しみにしております!
  • 真偽についてはともかく、こういう考察系で説得力あるの初めて見た。見せ方もうまいし面白い
  • 信長本人が後に「(桶狭間で今川に)勝てたのはまぐれ」とはっきり言っているぐらいの奇跡。
  • 海道一の弓取りとまで言われて天下人候補でもあった今川を倒した信長はやっぱり凄いんだろうなぁ…